古典文法の授業について。
いつも以上に思いつつままに!
私が高校生の時、大学の付属校だったこともあって、細かな文法は教えられていない気がします。(忘れているだけかも)
自分が教壇に立つようになり、どちらかと言えば古典を担当することが多いのです。
そうなると、どうやって古典文法を教えるのか・・・定着させるのか・・・
理屈は分かっても、生徒に理解させて、使いこなせるようにさせて、文章の意味を読み取って、そこから考えて・・・がかなり難しく感じています。
副教材
自作のプリント
音読
小テスト
思いつく限りのことをやってはいますが、苦しいのは事実。
並びの教師も半ば諦めムード。
つらいなぁと思っていたところに、ツイッター経由でなるほど!と思う取り組みに出会えました。
新年度前に取り組んでみることを忘れないために。。
もう師走。
あっという間に師走。
この一年でなにが身について、何を生徒に還元できたでしょう。
忙しさを言い訳に、もっと「力」をつけてあげられたはずなのに。と反省の考査期間です。
今はこれを図書室で購入してもらったので、ちまちま読んでいます。
教育の効果: メタ分析による学力に影響を与える要因の効果の可視化
- 作者: ジョンハッティ,John Hattie,山森光陽
- 出版社/メーカー: 図書文化社
- 発売日: 2018/02/20
- メディア: 単行本
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まだ全然進んでいませんが、覚え書きとして引用。
よい指導とは、考えることそのものが目的となるのではなく、説明を組み立てること、批判すること、推論を導出すること、応用を見つけることといった活動を学習者に求めることであって、「カリキュラムの中に学習者が考える機会を多く配列することを教師が考える必要はないはずである。それは、山岳ガイドの日常生活に有酸素運動を行う機会を多く設けようとするようなものだからである」 (Bereiter, 2002, p.380)。学習者が十分に思考しないのは、指導に何らかの深刻な欠陥がある場合である。「思考の促進や思考力の向上だけを学習の目的とするという考え方は放棄され、実際の問題解決において知識や技能を使いこなす能力を高めることにつながる学習者の理解の深化こそが学習の目的であるという考え方に置き換えられなければならない」(Bereiter, 2002, p.381)のである。
(第3章 主張ー見通しが立つ指導と学習 P65-66)
「学習者が十分に思考しないのは、指導に何らかの深刻な欠陥がある場合である。」
どうしても、責任転嫁しがち。本当に刻まなければいけない。
どんどん、公募推薦入試の結果が出てきています。
予定通り合格の者。予想外に合格の者(これは少ない)
予想に反して不合格の者。などなど。
入試の結果が全てではないですが、上の言葉を胸に、もう一度考えなければ。
とおもう週末でした。
押しつけになっている。
学校というのは、様々な行事や取り組みを行います。大きなものから小さなものまで・・・
例えば文化祭のように多くの生徒たちが楽しめるであろうもの。
これはいいとする。(もちろんそうではない生徒もいるが、まだ逃げ道があるはず)
しかし、「楽しまなければならない」「楽しんでいない者は間違っている」という空気を作りがちになってしまう学校というものが苦手です。
私も中学生のときや高校生のときは、特に合唱コンクールが苦手でやる気がなかった・・・(当時の先生方にはご迷惑をかけました・・・)
だからこそ、今、行事に前向きになれない生徒を見ていると
個人としては、分かるよー!あるよねー!
と思いながら、教師としては・・・。
勝手にジレンマを感じています。今日はそれがとても身にしみました。
難しいです。
いまの反省。忘れないように。
自分の授業のやり方について。
今年度は演習ばかりで、良いように言えばやりたいように出来る。
はじめは大福帳にも取り組んでいたし、楽しかった。生徒の思いが見えかけてるのかな?と思うことも少しあったり。
しかし、日々に忙殺されていまは手を付けられていません。AO入試から公募推薦入試が始まり、面接の指導や添削指導。そこまで手が回らなくなって、誤魔化してしまっています。
その原因は自分の見通しの甘さかなぁと。
週に5単位の中で取り組むのは、今の私にとっては難しかったかもしれません。反省しかありません。もっと計画とか見通しを持ってするべきだった。
twitterなどで他の先生方の実践を拝見すると、なんて自分の取り組みは浅く、情けないのか…と生徒に申し訳なく思います。(取り組み、と言っていいのか。そもそも)
自分は4月になれば仕切り直せますが、生徒は違います。
もっともっと考えなければ。
遠のいていました…
日々のことを記録するためにブログを書こうとしていたはずなのに、忙しさにかまけて全く手付かずでした。
言い訳ではないけれど、受験学年の担任であり、他クラスも含めての志望理由書の添削、面接練習、私学ならではの受験生向けのイベント複数回などなど…
やっと、一息ついて大きな行事は祭りのみ。
あとは、それぞれの公募推薦入試と一般入試…となってきた。
目下の悩みは2点。
自分の面接練習が正しいのかということと、心を病んでしまって登校できなくなってしまっている生徒のこと。
前者は諸先輩がたに伺いながら、昨年度までのレポートを見ながらなんとか。。
放課後に2、3人相手するのだが、一人当たりおよそ30分くらい。
1時間くらいしている先生方をみていると、自信がなくなる。
でも、長くなればなるほど、おたがいに集中力が途切れて、ぐだぐだしてしまうと思うのは自分だけでしょうか。
まだまだ勉強です。
後者。これも深刻。高校なので何が何でも出席日数が肝心です。しかし、少しでも顔を出すだけでも…ということも難しそう。
保護者との連携もしなければいけないのですが、またこれも難しく…。
なんとか卒業まで持って行きたいのですが、お互いに踏ん張りどころ。
細々としたことや授業のことで考えなければいけないことは山ほど。
またまとめていこうと思います。
気づいたら夏休みでした
気づいたら、夏休みでした。
そしてもう8月中旬です。
やりたいことがたくさんあったはずなのに、3割くらいしかできていないのでは・・・。
少しずつ挽回したいです。。
『教師』という人間は、世間から見てどうなのか
ゴールデンウィークの空気が抜け、ぼちぼちと生徒たちもペースを取り戻して来たように思います。
疲れがたまってきているので、天気が悪いということもあり自宅でゆっくりしています。
あまり詳しくは記すことはできませんが、この2週間。
外部から足元を見られているというか、真摯に対応してもらっていない状況が続いています。
教師だから、なのか、個人の問題だから、なのかは分かりませんが。
ストレスには変わりなく、権限のない私にとっては余計にストレスのたまる日々です。
はぁぁ。